2022.10.21

焼酎の居場所。それは人々の語らいの中、 食文化とともにあった。

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「焼酎文化は食文化の基にありき」
霧島酒造に深く根付く考えはいかにして生まれたのか。

『焼酎文化は食文化の基にありき』
霧島酒造では、ことあるごとに耳にする言葉だ。
この哲学を、企画として体現したのが、1987年~2020年まで、33年間の長期連載となった『うまいものはうまい。』だ。
この企画の立ち上げについて代表取締役専務の江夏拓三が振り返った。

『うまいものはうまい。』は、霧島酒造の地元である宮崎県内のおいしい食や地域の生産者を取材し、新聞広告等で紹介していく企画だ。 霧島焼酎が食中酒であることを伝えることがねらいだった。
企画が立ち上がった1987年当時、霧島酒造は本社のある都城を中心に芋焼酎の製造販売を行う一蔵に過ぎなかった。
そのような状況の中、麦や蕎麦を原料にした焼酎がブームとなり、企画室の室長でもあった拓三は、何か新しいアクションを起こさなければという想いに駆られていた。
そんな経緯で始まったのが、『うまいものはうまい。』だった。

「『うまいものはうまい。』という企画は、広告というより、むしろ地域貢献に近い気持ちから生まれたものかもしれません」と拓三は語り始める。
構想段階でまず目を向けたのは、地域性だ。宮崎には独特の食文化と焼酎文化があった。 そのルーツを探りたい。文化を深く理解したい。拓三の中でその想いは膨らみ、県内の様々な地域に自ら足を運び、思考をめぐらせた。
その中で印象的だったものの一つが、“さのぼり”だ。さのぼりとは、田植えを行う農家が、3~4軒集まり協力して作業を行った後、大勢で食事を囲むというもの。 汗をかいて疲れたら、近くの土手にむしろを広げて、煮しめや焼いた地鶏などの料理と一緒に焼酎を楽しむ。これが、最高においしく感じるそうだ。
※藁などを編んで作った敷物のこと

「一緒に働いた後に飲んで食べると、団結力がものすごく強まるんです。人間と人間のコミュニケーションの最たるものですよね」
拓三は、“神楽”にもこの“さのぼり”と通じるものを感じているという。地域によりその形式は異なるが、夕方から明け方まで夜通し舞が行われる中、老若男女が集まって協力し、川魚の昆布巻きや蕎麦などの地元の食材を使った料理や焼酎が振る舞われる。山村生活は各集落が離れているため、そこには日常にはない出会いがあった。祭りは人と人の繋がりを生みだすものでもあったのだ。
その後、民俗学の文献も積極的に読み込んだ拓三は、“食や酒、祭りがないと交流は生まれない”という説と出会い、深く共感した。
「これは、この地方だけでなく世界中に通用する考えだ」とまで感じていた。
「地域の食材に焦点をあて、人々が楽しく食を囲む様子を届ける。そのときに焼酎は、楽しい時間の後押しをするような存在であるといい」
そう考え、『うまいものはうまい。』の企画は走り出した。

企画は稼働しはじめたものの、当初携わっていたスタッフは3~4名。手作業での仕事になった。
農協や漁協、大学や生産者に電話で問い合わせて、地域の食の情報を手に入れ、現地に向かい取材を行った。記事を執筆したのも拓三だった。
「その文章を読んだだけで地域の情景がパノラマ写真のように思い浮かぶようにしたい、ということだけは最初から決めていました」
文章を書く機会が少なかった拓三は初めこそ苦戦したものの、回を重ねるごとに手ごたえを感じるようになっていた。

撮影方法に関しても、誰から教えてもらうわけでもなく、自分たちで考え抜いて工夫することが多かった。
例えば、トビウオの回の写真は、実は海上で撮影したものではない。ラードを塗った何層ものガラス板を海面に見立て、テグス糸でトビウオが飛んでいる様子を再現したものだ。
このような工夫を凝らしたことで、まるで海上で撮影したような躍動感のある写真に仕上がったのだ。
また、当時は家畜のエサとみなされていたメヒカリという魚に関する記事では、その掲載をきっかけにメヒカリの価値が見直され地域の特産品にまでなったという。
いつの間にか、拓三が担当した記事は400ほどになっていた。これは、全800を超える記事のうち、半分にものぼる数だ。

宮崎県の豊かな食文化に支えられ、『うまいものはうまい。』は33年にわたって続き、2020年に幕を閉じた。 新聞広告では、異例の長さを達成した企画といえる。その間ずっと、霧島焼酎の紹介を前面に押し出すのではなく、主役はあくまで地元の食というスタンスを貫いた。
これも、当時の広告としては珍しいものだった。拓三は、「謙虚にして奢らず。食がうまいから焼酎がうまいということを忘れたらだめです」と繰り返した。
『焼酎文化は食文化の基にありき』
この言葉は、実体験から明確に語られた拓三の意思そのものであり、今も霧島酒造の中に根付いている。
『うまいものはうまい。』は区切りを迎えたが、そこで培われた精神はこれからも脈々と受け継がれ、霧島酒造のゆるぎない指針であり続けるだろう。

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